再会と邂逅の旅

15年ぶりにあの笑顔に、私は会えた。


恩師である高木怜子先生と広島で再会。スタジオを引き継いでからあっという間に月日が流れ、気付けば15年。これまで会おうと思えば会えたのかもしれないが、自分が先生の後を継いだということの責の重さに、自分自身で会うことを許せないでいたのだと思う。

それくらい怜子先生の名前は、重くて強い。

駅前で落ち合って、食事をしながら話すこと、およそ3時間。
先生と生徒という関係だった当時は話すことができなかったことを、色々話してくれた。
バレエを通して人生を学んだと仰っていた先生、そして「この年になっても、まだまだだと思うのよ、もっと学ばなくちゃ。」と。

これほどの人がそう思うのならば、私はどれほどまだ学ばねばならないのだろうか。途方もなく遠い道、果てしない荒野に放り出されたような、思わずそんな思いに駆られた。

一緒に再会を果たした連れ合いが、自分の大切にしている本を先生に渡した。
そう、そういう大切なものを託したくなる、その行為がすべてを物語っていた。私にとって先生に預けたい大切なモノって、なんだろう?持ち合わせていないことを悔やんだけれど、きっとまた次に会えるときが来る、その時にはきっと渡そう、そう思った。

先生は、愛に溢れていた。
どの瞬間も、私はそれに包まれていたのだと思う。
今になって気付くなんて…とも思うけれど、今、気付けて良かった。
心から、そう思った。

広島。
とても興味深い街だった。
思いがけない出会いもあったし、信じられない出会いにも遭遇した。
懐かしさも感じた。初めて来る場所なのに。

原爆ドームは工事中だったけれど、やっぱり空気と時間の流れが少し違うように思えた。澄み切った青空はどこか哀しかった。
平和について考える、なんて教科書みたいな当たり前のことを言いたくないけれど、私たちは教科書とは違う角度で考えなくてはならないのだろうと思った。

悲しむことも、憂うことも、自由だけれど、怒らなくては、いけない。
正しく、怒らなくては。

それは決して暴力ではない。
正当に主張すること、真っ当に意見を述べること、そしてNOを言うこと。
どれも日本人はヘタクソだ。
NOと端的に言い切る言語が、日本語にはないらしい。
否定はあっても、拒絶の言葉が、ない。
それはそれで美しい、けれど時にはNOということも必要だと思う。

必ず、また戻ってこよう。広島に。
ちゃんと相応しい自分になって。